初詣は喪中に行っても大丈夫なの?神社とお寺で違う考え方

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初詣は喪中に行っても大丈夫です。でも神社とお寺では考え方が違います。

今回は初詣と喪中について少し詳しく見ていきましょう。

おしながき

初詣は喪中に行っても大丈夫なの?神社とお寺で違う考え方


まずは、初詣の前に事前知識をおさらいしませう。


喪中とは?基本知識をしりましょう。

喪中とは近親者が亡くなった場合、一定の期間故人の冥福を祈りながら静かに過ごすことです。
喪中期間は基本的に一年間です。目安としては一周忌法要をもって喪明けと考えます。

その喪中期間は故人の死を悼(いた)み、身を慎(つつし)み、というようなことをします。

よく「喪に服す」と言いますが、これも同じ意味合いで、一定の期間外出や社交的な行動を避け、身を慎むことに従います、ということです。

「服す」=「従う」という意味です。

晴れがましい祝いごとも控えますが、お正月もそうです。

門松や正月飾り、新年を祝うおせち料理、おとそ、なども控え普段通りの生活をするというのが一般的といえます。

初詣もしない方がいいの?神社とお寺の違い

そもそも喪中はおめでたい事を避けるということなので、本来初詣も控えるという考えもあります。
ですが、神社によっては喪中である一年間は参拝を避ける、五十日の忌明けを過ぎれば参拝してもよいというところもあります。

忌明けとは忌服(きふく)(故人の冥福を祈り、喪に服す)期間を終える日、または、その日を迎えたことを指します。

宗教によって異なりますが、仏式は四十九日、神式は五十日が忌明けとなります。

神道と仏教の基本的な違いは、「死」にたいする違いといえます。
神道は「死」=けがれを意味し、忌明けを過ぎるまで鳥居をくぐることも控えるとしています。

忌中の間は死のけがれが身についていると考えられていたため、かつては外部との接触さえ避け、故人のために祈りをささげる期間とされていました。

仏教は「死」=大切な方を亡くしたからこそ手を合わせるとしています。

仏教は新年であろうとお参りに制限がなく、故人に対して手を合わせることは大切な事としています。

また、浄土真宗、曹洞宗などの仏教の教えでは、「死即往生(しそくおうじょう)」という概念があり、亡くなってからすぐに仏さまになり、私達を見守って下さるという考え方です。


喪中の初詣はお寺へ行くのが良いでしょう。

宗派にもよりますが、仏教であればお正月にお寺へ行き、故人の冥福を祈るのも良いかもしれません。
初詣は神社にしか行かなかった人でも、お正月にはお寺にうかがってお墓参りをしてみてはいかがでしょうか。

子供がいる家庭では、喪中と言われても何のことやらわかりません。

ですが、なぜ今年はお正月をしないのか、お祝いをしないのかを教えるということも大切な事です。
もし初詣に行きたいと言ったら、お寺へ連れて行ってあげてください。
そして家族でお墓参りをするのも良いかもしれないですね。

喪中に神社へ行かれる場合の対処法

忌中が明ける前に神社へ行くことになった場合、あらかじめ神社に相談をされお祓いを受けてから参拝をした方が良いでしょう。

神社では親等ごとに忌明けの日数が違い、最長で五十日です。

忌明けの日数は神社によって違いがあるようなので、行かれる神社に問い合わせをするのが良いかもしれません。

また、神社もお清めの儀式などを行うことで参拝が許可されることもあります。

どうしても神社に参拝したい場合は相談してみましょう。

本日のまとめ

喪中の過ごし方は子供がいる家庭では厳しいかもしれませんね。

お年玉もお正月行事なので控えなければならないようですが、お年玉ではなく「書籍代」「文具代」などと項目を変えて渡すのも良いでしょう。

本来旅行も控える、という考えもありますがそれでは長期の休みの時はちょっとかわいそうですね。

そこらへんは臨機応変に対応したいものです。

日本のしきたりや宗教は古来引き継がれてきてはいますが、これからは時代に合わせて考え方も変化していくかもしれません。

以前葬儀があった際、住職に「一年喪に服しましょう」と言われた時、一年間喪服を着ていなければならないのか?と思ったことがあります。

実際に葬儀を経験していない人にとっては忌中、喪中は皆無と言っても良いかもしれませんね。


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